2 12月

「医師は神様ではない。人間として向き合える互いでありたい。」

私が、私の大切なテーマとして、常日頃から心と心の対話がいつもうまれる。
それは、人権、つまり、人間が生来持っている生命・自由・平等などに関する権利についてである。
我々の世界において、基本的人権がおかされているのではと危惧する私がいる。それを、私が関係する世界に特化して、具体的に取りあげるならば、次のようになる。
私は勿論、精神科医師でもなんでもない。15年間、精神障碍者と位置付けられてきた人達と恵まれた出会いをしたと悟り向き合ってきた一人の素人現場人間である。
その現場の視点から大胆に表現するならば、精神科などに通院する方の処方箋をみて(勿論、本人の承諾を得てなせることだが)、どうしても納得いかないことがある。
それは、同じような効果をもつ薬が、何故、重ねて重ねて、多量に処方されるのか。何故なのか。と、納得いかないまま今日にいたっている。
勿論、良心的な医師もいるが、本当に患者さんに人間として向き合っているのか考えてしまう。言い換えるならば、精神医療の中で当事者の人権が重要視されているのかである。この世界で患者さんが主治医を法的に訴えて裁判になったという話は殆ど聞かない。ある精神科の医師は次のように証言する。
狭い内容の精神科医療にたずさわる国家試験をうけて、医療現場に出て、訳のわからない病名を形式上つける医師の中には、そんなことはおこらないと考えて診療している現実があるという。
病気・障碍が先にありきではなく、基本的人権が守られるべき人間存在として先に向き合ってもらいたい。それが実現できないいろいろな要因があるだろう。だからといって、いつまでも精神医療の在り方を放置する訳にはいかないだろう。これらを真面目に、良心的に考える人間である医師は苦悩しているし、そのように察するところが多い。
病院や個人開業する医師たちだけに問題があると言っているような現場素人集団ではない。また、当事者ではない。それには、そこに関係する国とその関係機関にある集団一人ひとりの良心的責任が問われている本質的課題である。加えて、製薬会社・精神医療など、総合的に問われていることを忘れてはいない。
それらの心の良心と政策・利益追求を求めてやまない現実にあきらめることなく訴えていく…チャレンジしていく存在に尊敬・尊厳を持って導かれている私がいる。
それ以上に我々当事者たちが基本的人権をしっかりと意識して…それにもとづく自分の意志決定を育みながら、医師を神のごとく拝むことから解放されて、互いに人間存在として向き合うところから回復への道を模索して歩むことを祈るばかりである。